同じ境遇の子どもたちが、そうとは知らず集まっていた。そのまま別れて、それで終わりでもよかった。こんなに人とかかわることを避けてきた自分なら、そうするのがふつうだった。「なのにどうしてだろう。ぼくは彼らをさがしたんだ。そして見つかった。見つかって、今、ぼくの思うことは」
             
「ひそやかな花園」 角田光代 毎日新聞社

 毎年の夏のキャンプは、子どもたちの誰もが待ち望むものだった。そこでは、誰かにいじめられることも、自分のことを透明人間みたいに思うこともない。まるで年の離れた双子のようにわかり合える相手がいて、くだらないことで笑いあえる相手がいて、母親がいつもとは違うやさしさを見せてくれる時間。けれど、彼らの関係はいったいなんなのだろう。親戚でもなければ、みんなの年齢もばらばらで、母親同士に接点があったとも思えない。父親が来ている家もあれば、来なくなった家もあり、シングルマザーの家もある。とはいえ、この夏のキャンプがなければ、人生の半分くらいの楽しみがなくなってしまうのは事実なので、子どもたちは奇妙に感じたことなどすぐに忘れてしまった。その奇妙さについて、深く考えるようになるのは、彼らがずっと大人になってからである。
 ある年を境に、ぱったりと途絶えてしまった夏のキャンプ。それだけではない。大人同士の交流も途絶えてしまったのか、子どもたちは互いの電話番号も住所も知らされず、手紙を送ることさえできずに、強制的に断絶させられてしまう。それぞれ三十歳近くなり、当時の親の年齢に近くなった頃、偶然が彼らのうち二人を結びつけるまで。そして、そこから、あの夏の子どもたちを彼ら自身の過去へと導く探索が始まる。
 ネタばれになるので多くは書けないが、夏のキャンプの意味を知ることで、彼らは彼ら自身の生き方そのものについても考えさせられるような事実に直面する。誰もが深く傷つかずにはいられないその事実から、逃げる者もいれば、正面切って向かい合おうとする者もいる。彼らの生きる姿そのものが、深い感動を呼ぶ。
「きみが見るもの、きみが触るもの、きみが味わうもの、ぜんぶ人と違う」
「きみがいなければ、きみの見る世界はなかった」

 親と子、家族であること、生きること。さまざまなことを考えさせてくれる佳品である。




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