「ぼく、ライオンといっしょに、ねたんだよ」
    
 「ヒルベルという子がいた」ペーター・ヘルトリング(上田真而子訳)偕成社

 ヒルベルというのは、ドイツ語の脳や知能という意味のヒルンという言葉と、うずとか混乱といった意味のヴィルベルという言葉を組み合わせたもので、頭がうずを巻いてしまった子、混乱している子、という意味でつけられている。
 ヒルベルは里親にも見放され、施設で暮らしている。美しい声で歌うことのできるヒルベルだけれど、ときどき頭がとても痛くなって、壁に頭をぶつけることしかできなくなったり、大声でわめいたりする。九歳になるのに、五、六歳にしか見えず、とぎれとぎれにしか話すことのできない少年を、ほんとうに理解できるものはいるのだろうか。
 あるとき、施設のみんなで遠足に出かけたとき、ヒルベルが姿を消す。脱走したのかと慌てる先生のもとに、翌日、羊飼いのおじいさんがヒルベルを連れてきて、こういう。
「あのいたずら小僧ときたら、きれいな目でわしをじっと見つめて、『ライオン! ライオン!』というじゃないか」
「ま、あの子をしからんでやってくだされ。かわいい子じゃ。羊を見たことがないのなら、どうしようもなかったろうで。町の子なら、しかたがない」
 羊の群れの中で眠ったヒルベルは、珍しくその体験を親しい女の子に語る。「ぼく、ライオンといっしょに、ねたんだよ」、と。
 本文も感動的だが、著者あとがきもまた、わたしを深く考えさせてくれるものだった。ヒルベルって病気だったの? という子どもたちの質問に答えて、著者はいう。ヒルベルは二種類の病気だったのだろう、ひとつは医者の診断のつく病気。
「そして、もうひとつは、医者では治せない病気だ。つまりね、ヒルベルには、ほんきで心配してくれる人が、だれもいなかった」
「ぼくは、この病気のほうが問題だと思っている。この病気は、みんながそっぽをむいて、ヒルベルをかわいがる人が、ひとりもいなかったら、ぜったいになおらない病気だ」
 ヒルベルの世界を、ヒルベルの可能性を、ヒルベル自身を……理解することができるように、なれるだろうか。付録としてついている河合隼雄の感想とともに、考えてみたい。


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