「もちろん、あなたがあの子を愛しているのは知っているわ。でも、好きじゃないのかもしれない。家族ではそういうことがあるんじゃない? 愛しているけど好きじゃないということが」
            
   「緋色の迷宮」 トマス・H・クック(村松潔訳) 文春文庫 

 アメリカ東部の小さな町で、写真店を営むエリック・ムーアは、その夏、その日まで、自分は幸せな家族を持つ幸せな男だと信じていた。地元の短期大学で英文学を教えている美しい妻のメレディス、内気で少々だらしないが、「いい子」である息子のキース。昔から愚痴ばかりの甘ったれだが、家族の一員である兄のウォーレス。
 しかし、その夏の夜、キースがベビー・シッターに行った先で、エイミー・ジョルダーノが失踪した。キースはエイミーに本を読んでやって眠らせてから帰ってきたというのだが、エイミーは痕跡も残さず姿を消し、ジョルダーノ夫妻はキースを疑い、キースに真実を告白してほしいとエリックに懇願する。ジョルダーノ家の脇に落ちていた煙草の吸殻。同じ意銘柄の煙草を隠れて吸っているキース。町の人々の疑惑の目が突き刺さる中、誰よりも息子を信じられずにいたのは、実はエリックだった。あの日、キースは本当にひとりで帰ってきたのだろうか? まさか……エイミーの失踪には、キースだけではなく、自分の兄、ウォーレンも関係しているのでは? 疑惑の中、エリックは自らの幼い日々の中にひそむ暗い闇をも掘り返してしまう。
 ミステリではあるが、犯人探しの物語というよりは、むしろ、自分が誰を信じられるのか、自分は愛する人々、愛していると思い込んでいる人々の何を知っているのか、という物語になっているのだと思う。エリックは自分の中に揺らぎを持つが、同じように揺らぎを持っているものだと信じていたメレディスは、自分が「知っている」ことを信じている。ふたりの信念の違いによって生じるひずみが悲しい。
 衝撃的なラストも含めて、最後まで読ませる。質の高いミステリになっていると思う。



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