「わたしたちって、このまま一緒にいても絶対、『よくできました』止まりな気がしちゃうよね」
             
  「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎 新潮社

 事件のはじまったとき、樋口晴子は以前の同僚である平野晶と蕎麦屋にいた。結婚して幼稚園児の娘を持つ母親としてのどかな日常を送る晴子にとって、首相のパレードも、ラジコンヘリに搭載された爆弾も、遠い遠いもののはずだった――首相暗殺の犯人と目された人物が、かつての恋人であるとわかるまでは。
 しかし20年後、その事件の犯人を晴子の元カレ、青柳雅春であると考える人は誰一人としていなかった。だがそのときには、警察もマスコミも誰も彼もが青柳雅春を犯人として追った。そして青柳は逃げた。逃げ続ける青柳雅春は、もし彼が犯人でないとしたら何を考えて逃げていたのだろうか? 
 突然、身に覚えのない犯行を押し付けられ、行ったことのない店で何かを買ったことにされてしまい、食べたことにされてしまう。防犯カメラに映っていた自分の姿、だがそんな場所には行ったことさえないのだ。個人を越えた、何か大きな組織、大きなうねりに飲み込まれていることを感じる。だがそれに対してどうすればいいのかわからない。ちっぽけで無力な自分を嘆く暇もなく襲いかかってくる悪意。
物語は青柳雅春の視点だけでなく、彼とかつて関わり、報道される「青柳雅春像」に違和感を持ち、彼を助けようとする人々の視点からも複合的に描かれ、ふいに陥れられる脅威を緻密に描き出している。
それにしても、登場こそ平凡な主婦だった樋口晴子の行動力は見事。しかも昔の恋人の癖まで事細かに記憶しているというのもすごいよなあ……とか思ってしまうのである。ラストの一節に思わず微笑んでしまう読後感のよさ。オススメ。



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