いいか、ぼうず、しょっぱくないなみだなんかながすな。しょっぱくて口がまがるようななみだがでるようなときにだけなけ。そういうときは、だれにも気がねなんかいらねえ。
               
「ゲンのいた谷」 長崎源之助  講談社

 ある夏休み、小学5年生の幹男はお父さんにつれられて、ある山寺を訪れる。そこは幹男の父が戦争のとき疎開をしていた場所だった。いやな思い出のつまったここへ、お父さんが幹男をわざわざつれてきたのは、あのころの自分と同じ年になった息子に自分が暮らしていた場所をぜひ見せたいと思ったからだ。けれど、お線香の匂いのする古くさい寺に幹男はなんの興味も持てずにすぐに飽きてしまう。集団疎開なんてスポーツの合宿訓練や林間学校みたいにしか思えない幹男にとっては、父の語る生活の苦しさなんて少しもわからず、こんな寺よりも遠くに見える遊覧船に乗るほうがはるかに面白そうだからだ。
 ところが、寺の人に挨拶をしている父をひとりで待っていた幹男を呼ぶ、土蔵の壁にかかれた一匹の怪獣。あいたいあいたいと思ってずっとまっている少年「うめぼし」は、きっともう死んでしまっているんだ……といって泣く怪獣ゲンの頼みで、幹男はうめぼしの話を聞くことになる。それは、幹男が想像していたのとはまるで違う、かなしくてさびしくてしょっぱい苦い涙を流す少年たちの疎開生活だった……
 戦争を知らない子ども幹男に怪獣が語る戦争の物語。空腹に耐え、親と別れたさびしさをこらえて生きている子どもたち。その中でも、反戦運動をしたためにスパイ扱いされた父親をもつ「うめぼし(スッパイ=スパイ)」は、疎開児童の中でも仲間はずれにされ、孤独な日々を耐えているのだ。ゲンはうめぼしのなみだをなめ、そのしょっぱさでおおきくなってゆくが、その哀しみの深さは読んでいるこちらの胸をえぐらずにはいられない。しかも、厳しい状況下で精一杯生きている子どもたちと先生の日常を描いたこの作品はドラマティックな波乱にも満ちている。幹男とともに、ゲンの話につりこまれていくに違いない。
 それでも、最後に幹男はいう。ぼくだったらゲンのような友だちをもっていたら、なみだなんてなめさせない、と。
「ぼくだったら、いっしょに未来のことを話しあうよ」
 戦争と、戦争のない今日と。
 ふたつの時代について深く感じることのできる佳品である。




オススメ本リストへ