これはメルニボネのエルリックの物語。エルリックはその大半を、悪夢の中でしか回顧できぬであろう。
         
 「メルニボネの皇子」 マイクル・ムアコック(安田均訳)早川書房

 エルリック・サーガ第一巻。いわゆる剣と魔法ものなのだが、そのキャラクター造型により、この作品は他のファンタジーとは一線を画している。
 百世紀にも及ぶ伝統を持つ王国メルニボネは次第に衰え、いまや〈新王国〉と名乗る勃興してきた人類諸国家に押されつつある。ところで、残酷にして狡猾なメルニボネ人、人類ではないその民を統べる王エルリックの心の中はモラルについての葛藤で占められており、そうした思考によってかれは臣民の大半から浮き上がっていた。骨のように白い肌と深紅の瞳、魔法の飲み薬がなくては生きることのできない白子の王は、読書に多きを求めた結果、メルニボネ人らしからぬ思考を身につけてしまったのだ。
 そのような王を従弟イルルクーンは嫌悪し、ルビーの玉座を奪おうと画策する。そしてはじめこそイイルクーンを軽くあしらっていたエルリックも、ついにはイイルクーンを追って異界へと足を踏み入れ、混沌の神アリオッチと取引し、魔剣ストームブリンガーを手にすることになる……
 法と混沌が微妙なバランスを取りあう世界において、混沌の僕となったエルリックの立場はむずかしい。とはいえストームブリンガーにもアリオッチにも非常な魅力的を感じずにはいられないのはなぜだろう。とにかくまあ、読んでもらいたい。
「死ね、この白子の悪魔め! 死ぬんだ! この世に貴様らの居場所はもはやない!」
 といわれて、あまりにも真実をついている、と危うく防御の姿勢を崩してしまうエルリック、これまでのファンタジーの剣の使い手とは異なり、思索型の彼の魅力を存分に堪能してもらいたいものである。
 なお、エルリック・サーガはいまのところ6巻プラス2巻、その他の関連シリーズを入れると20巻を越えてしまうかもしれないことだけは……一応、書き添えておく。



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