昭和二十年、八月十五日
          
「戦争童話集」 野坂昭如 中公文庫

 収められた十二編の童話は、すべてが同一の文章で始まる。それが上記の「昭和二十年、八月十五日」だ。
 そしてまた、この童話はすべて愛の物語でもある。潜水艦に恋をしたクジラ、幼い少女を守ろうとした雌狼、子どもに水分を与えるためにみずからは干からびてしまうお母さん、戦争にいって帰ってこなかったお父さんと防空壕で空想の会話を交わす少年。
 あとがきにいわく。
「戦争の中に、弱いものをおけば、かわいそうなお話に当然なる。子供も鯨も象も虫も、ぼくの用意した、というより現実をなぞった中で、苛酷な日々を過ごしつつ、夢に逃避じゃなく、生きる姿を描いた」
 これを野坂昭如以外の人間が書いたら、それはないだろうおまえ、になってしまうのではないだろうか。
「ぼくは、「戦争」の片鱗を心得るつもりだが、「戦場」は知らない。」と書きつつ、
「やがて、忘れるというより、さらに無いことにしてしまった感じの戦争」、これを後世に伝えなければという気負いはないが、
「書き残したいという気もちが暗くわだかまり」、ふとしたきっかけもあって、この童話集となったという。
戦争を知らない世代が、弱いものをおけばかわいそうなお話に当然なる、などと発言したら、泣かせがほしいだけか、と目をむけるのも汚らわしいが、戦下を少年として生きのびた野坂が「片鱗を心得るつもり」といいながら描き出す童話には胸しめつけられるものを感じる。それはおそらく、この童話の中にどこか少年の澄んだ視線が感じられるからだ。そして、どこか少年の無力感、絶望感、そんなものも感じられるからだ。暗くわだかまった気持ちを越えて書かれたこの童話集を、わたしたちも感傷や感動だけではなく受けとめなければならないのだと思う。



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