世はめまぐるしく変わり、人が死に、殺され、それでも本当に悲しむのは少しの人だけで、皆、いっときは騒いでも、後は、空の色さえ陽気です、という顔だ。
      
 「空の色さえ」(「蝶」所収) 皆川博子 文藝春秋

 「わたし」は幼い頃、よく祖母の家に預けられた。祖母の家を父母や姉たちが訪れるのを見たことがなかったし、親類縁者が家に集まる正月に、祖母がくることもなかった。けれど幼すぎて、わたしにはそのことを疑問に思うことさえなかった。祖母と手をつないで近くの市場まで一緒に歩き、井戸のポンプを押すのを手伝い、ふたりでゆっくり湯につかった。あがってはならぬといわれた二階にだけは行ったことがなかったけれど、そんなことも気にならなかった。けれどある日、押入れを片付けていたわたしは、ふとしたことから押入れの天井板をずらし、二階へと顔を出してしまった。そこには若く優しい男の幽霊がいた――
 短篇集。
 皆川博子の作品というのは、ある一点、ある一瞬で現実と非現実が入れかわる感覚を描いたものが多くあるが、ここに収められた作品もそのようなものが多い。しかも、見逃すとどこでどう踏み越えたかわからないほどさりげなく書かれた一行などがあって鮮烈である。「想ひ出すなよ」などはその典型。微妙な関係の上に成り立つ4人の少女たちを描き、物語も少女たちの嫉妬や苛立ちなどが中心になっているが、ラストは残酷で強烈な印象を残す。
 そんな中にあって、「空の色さえ」はわかりやすくはあるだろう。二階に行ったわたしと、行かなかったわたしとに別れてしまった「わたし」。ふたりに別れたうちのひとりは歳を重ね、知りたくなかったことを知り、祖母とも疎遠になり、戦争を、敗戦を迎える。けれどもうひとりは、なにひとつ知ることなく、祖母の家の二階にいる。「空の色さへ」という詩と小説とがぴたりと重なっている。さすが皆川博子。絶品の短篇集である。



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