右手さん右手さん、しっかりしてね。左手さん左手さん、くじけそうになったら右手さんを守ってあげてね。
             
「チグリスとユーフラテス」 新井素子  集英社

 イブ? アダム? ナイン? 「マリア・D」と付けられた第一章を読みはじめた当初は混乱の極みだった。妙に知っている名前が使われている、というのもそのひとつだ。ゼウス、アブラハム、イザナミ、アマテラス。いったいこれはどういう国の、どういう話なんだ? と。
 これは、地球日本地方が中心となって行った植民、惑星ナイン最期の物語。キャプテン・リュウイチとレイディ・アカリ、そして35人のクルーたちから始まったその植民は、人工子宮の助けも借りて、植民から二百年経ったころには百二十万人を超える人口を有するようにまでなる。けれど、それはかりそめの夢。なにが理由なのか、人口は徐々に減り始め、ついに男性七割、女性六割が生殖能力を欠いていることまでが明らかになる。生殖能力をもつ男女を「有資格者」として特権階級扱いする社会。子どもがなによりも大事にされ、個人の子どもではなく、社会の子どもとして大切にされる社会。それでも、人口の減少はとめようがなく……ついに「最後の子ども」、ルナだけが惑星ナインの上にただひとり取り残される。
 この話は老女となったルナが、さびしさと復讐(自分を「最後の子ども」にした社会に対して)のために、次々に冷凍睡眠中の特権階級の女性たちを起こしてゆく、という構成になっている。目覚める女性たちはそれぞれに時代の違いこそはあっても特権階級の者たちだ。生殖能力をもつゆえに特権階級であるマリア・D。感情を切り捨ててまで仕事に尽くせるがゆえに特権階級である惑星管理局員のダイアナ・B・ナイン。宇宙飛行士の直系の子孫であるがゆえに貴族階級扱いされる関根トモミ。そしてなにより、誰よりも特別な女性、惑星ナインの女神、レイディ・アカリ。
 それぞれの女性がそれぞれの過去を回想することによって、惑星ナインのこれまでのありようがわれわれの前にくっきりと現れてくる。だれに頼ることもできず、自分の右手と左手を励ますことで前進してきた先人の時代から、最後の子どもにいたるまで。草のぼうぼうとのびた、寂れきった宙港のように、この作品全体に流れるのはおだやかな諦念とでもいったものだ。
 けれど、ほんとうに?
 この本に込められたメッセージに、わたしはおそらく、いまはまだ「うん」とはいえない。
 とはいえ……これは女性の物語。子どもを産むことによってナインを富ませ、子どもを産めないことによってナインを滅ぼさざるを得なかった女性たちの、哀しみと苦しみ。いつの時代も女性であることには苦しみが、そしてよろこびがあることを、この本はくっきりと描き出しているように思う。おそらくはわたしよりも数歳上である新井素子……「結婚物語」「新婚物語」でその結婚生活まで明るく楽しく描き出していた彼女が、いままだ子どもを持たないことを思い、あとがきの夫にあてた謝罪を読むと複雑な気持ちになる。けれどまた、彼女が「書く」ことによって癒されたであろうことを信じたい。

 なお、「チグリスとユーフラテス外伝」も、機会があれば。本編ではろくな扱いをされていなかった女性に光があてられており、なかなか興味深いと思う。やはりこれは、女性の物語なのだから。


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