汗と埃のしみついたミロンガの暗がりでタンゴを踊るとき、私の孤独は彼の孤独とまじりあい、拡大される。ふたりでもっとさびしくなるために、私たちは踊り続ける。どんなに踊り続けても、数え切れないほどの夜を踊り明かしても、私たちは何も分かち合えない。
               
  「現実との三分間」(「サイゴン・タンゴ・カフェ」所収) 中山可穂  角川書店

 それがタンゴなのだと、私はあの男から教わった。ゼロにゼロをかけてマイナスにしていく営みこそがタンゴなのだと。
 ……このようにして、孤独な夜を思い出す美夏の現在と過去を描いた「現実との三分間」。ブエノスアイレスでの上司、八尾との思い出は一般的には不倫と呼べるほどのものでさえないが、しかし孤独な男女の濃密な時間の数々でもある。だからこそ、八尾の裏切りに対して、そして現在の美夏の行動がリアルに迫ってくる。
 短編集(というより中編集といってもよいか)。
 高校卒業とともに家を出てしまい、ブエノスアイレスで結婚するという娘を訪ねていく母、典子を中心にした母娘の物語「フーガと神秘」、夫の不倫相手と思いもかけない出会いをする「バンドネオンを弾く女」、そして表題作の「サイゴン・タンゴ・カフェ」。「ドプレAの悲しみ」以外のこれらの作品に共通しているのは"働く女性"なのではないか、とふと思った。独身のワーカホリックとして、あるいは妻や母との兼業で。外で生きる女たちの孤独をすくいとってくれるものがそうそうあるわけもなく、彼女たちの背には孤独がさびしく積み重なっていくばかり。そんなひとときの慰めにタンゴとは……なんと哀しく、けれどたくましいことだろう。
 共通しているのはどこかほの見える明るさ。仕事はもちろん、男にも癒されることのない孤独をいやすのは、タンゴを踊る自分自身。女性ならではの強さや優しさこそが、ほの明るい未来へとつながっているような気がする。どんなことがあったって、道を拓いていくのは自分自身でしかない。
 中山可穂の作品はこれまでも明るさの見えるラストシーンで終わることが多かったのだが、今回の短編集では特に前向きな感じがする。
 いつか歳を重ねて、若さだけが持つはかなさや華やかさのようなものは失ってしまったかもしれないけれど、孤独を隠し、哀しみの中から立ち上がれる強さをもった、そんな働く女になった自分がいる。強く生きている昼間と、ふとさびしさに泣く孤独な夜がある。いつも思うことだけれど、中山可穂の作品には、そんな自分にそっと寄り添ってくれるような優しさがある。この本は、働く自分へのエールともなった。このような本を大好きな作家である中山可穂が書いてくれたこと。そのことをなによりうれしく、愛しく思う。


 というわけで(?)、行きます、2008年3月1日、可穂さまサイン会。整理番号は70番……といっても当日の並び順次第ですけどね。たぶん真中かちょっと後ろあたりを狙います。あんまり早いより、サインしてる可穂さまを眺める時間もほしいから(笑)。



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