21・区別
バスの中で(風呂の話ではない)、わたしはひも(女に貢がせる男のことではない)を巻いた帽子(某氏ではない)をかぶった男を見かけた(ぶった男を見限ったのではない)。
          
 「文体練習」 レーモン・クノー(朝比奈弘治訳) 朝日出版社

訳者あとがきにいう。
すぐれた書物というものは普通、豊かな内容を格調の高い文体で表現したものと相場が決まっている。「乏しい内容」を「バラバラな文体」で書いた本など、いったい誰が読む気になるだろうか。
ところが、この「文体練習」はまさにそのようにして書かれた書物であり、それでいてフランスで広く愛読されるだけではなく、おそらく日本でも楽しんで読んでいる人が多くいるのではないかと思われる。
99の断章からなるこの本の扱っているのは、同じ内容、同じ出来事。それも、ある日、混んだバスの中で起こったつまらない喧嘩と、その張本人をあとでたまたま別の場所で見かけた、とただそれだけ。長さや語り手の視点の変化によって付け加えられる細部はさまざまあるが、中身はほんとうに「乏しい」。だが、その文体の「バラバラ」ぶり……これは、見事、の一言に尽きる。
物語、メモ、手紙、女子高生言葉、音の反復、はては関西なまりや漢文、俳句まで。
――漢文? レーモン・クノーってフランス人でしょ?
そう。この本の凄いところは、訳者が日本語だったらどうなるだろう、と考えて訳してくれたところなのである。イタリアなまりを関西なまりに、ラテン語もどきを漢文もどきに。これこそ、真の意味での「超訳」とでもいうべきものではないだろうか?
さまざまな文体を見せつけられて、しかしそのあまりの中身のなさにやや食傷気味になってきたころにようやく訪れるラスト、99「意想外」。そこには、それこそ意想外なオチが待ち受けている。楽しみながら読んでもらいたい一冊。きっと自分でも「文体練習」したくなってしまうことだろう。



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