守るべき国の形も見えず、いまだ共通した歴史認識さえ持ちえず、責任回避の論法だけが人を動かす。国家としての顔を持たない国にあって、国防の楯とは笑止。我らは亡国の楯。偽りの平和に侵された民に、真実を告げる者。
         
   「亡国のイージス」福井晴敏  講談社文庫

 貧しい母子家庭に生まれ育ち、母だけを愛し、その母を失って獣のような父に引き取られて後は、子どもらしさも人としての生き方さえをも失ってしまったかのような如月行。旧海軍の技術士官を父に持ち、自分自身もあたり前のように海上自衛官幹部となり、順風満帆なままミサイル護衛艦《いそかぜ》の艦長となったその折に、思いがけないことから一人息子を失った宮津弘隆。酒屋の次男坊として生まれ、海上自衛隊の下士官として順調に出世し、《いそかぜ》の先任伍長となったのに、突然妻から離婚を申し渡されてしまった仙石恒史。《いそかぜ》に乗り込んだ彼らの日々の訓練の様子などが丹念に描かれる上巻。士官として、下士官として。先任伍長として周囲となじもうとしない部下の如月行を気に掛ける仙石と、そんな仙石に失ったはずの人間らしさの片鱗を見せる行。だが、あり得ないはずの事故が続き、仙石はその工作の陰に行の行動があることを認めざるを得なくなってしまう。如月行――彼はいったい何者なのか? 信頼と疑い。疑ってしまう自分の心に対する惧れ。
 物語は後半、息子を殺された父親として日本国に復讐しようとする宮津と彼を支える幹部、それに乗じた(というよりも実際には宮津をも操っている)北朝鮮工作員ヨンファに対し、《いそかぜ》を我が家と信じてやまない先任伍長仙石との闘いを描いてスピード感はぐんと増す。それまで丹念にひとりの人間としての彼らを描いてきたからこそ、有事に際しての彼らの迷いや苦しみやそれを振り払っての意志といったものが明確に見えてくるのである。《いそかぜ》に乗り込んだ人々だけでなく、陸上で国を守るため、人を守るために動く人々をも丁寧に描いた作品。長さは苦にならない。オススメ。



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