「たとえば両腕、両足を失って、車椅子の生活を余儀なくされて、口にくわえた小さな棒ですべてをこなさなくてはならなくなったとしても、それでおれという人間の価値が劣るわけじゃない、そうだよね。でもどうやら……」
        
  「ブレンダと呼ばれた少年:ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか」 ジョン・コラピント(村井智之訳) 無名舎

 1965年8月、ブルースとブライアント名づけられた双子が生まれた。一卵性双生児の彼らは健やかに成長するが、生後8ヶ月、排尿に問題があることから、小児科医の勧めにしたがって包皮切除手術を受けさせることにした。悲劇はそこで発生する。担当医の医療ミスから、ブルースのペニスが焼かれてしまったのだ。数日後には性器の痕跡もなくなってしまった赤ん坊に茫然とし、悲しみにくれた若い夫婦は、ふと目にしたテレビで世界的な性科学者ジョン・マネーの存在を知る。人は遺伝的な性別ではなく環境によって性が決定されるのだというマネー博士の言葉は、若いふたりにとっては天恵ともいえるものだった。
 そして、ブルースはブレンダとなる。しかしそれはブレンダにとっては試練の連続のような生活の始まりだった。押しつけられる「女の子」らしさ。理解しがたいマネーとの面談。完全なる成功例として学会で紹介され、マネーの名を高め、多くの不完全な性器を持って生まれてきた赤ん坊がブレンダの例に倣って性器切除手術を受けている中、現実のブレンダとその家族は成功とはほど遠いところにいた。
 実話である。
 半陰陽の赤ん坊に対する手術成功例を発表していたマネーにとって、健全な生後間もない男の子の性転換という症例、しかも双子の弟との対比まで可能であるというケースは見過ごすことのできないものだった。なんとしても成功させたい、させねばならぬ、という科学者の思いが、家族を崩壊させ、健やかな少年の心を傷つけてしまう。同性であるはずの女の子たちにもなじめず、(女の子にしては)活動的すぎ、乱暴なブレンダは学校内の厄介者となり、いじめの対象ともなってしまう。
 のちに自分の真実を知り、新たにディヴィッドとして生き始めた彼の力強さや前向きな姿勢にエールを送らずにはいられない。しかし、アメリカではこのような赤ん坊に対する性転換手術は想像以上に頻繁に行われていたのだという。医学への過信なのか、それだけ「信念」を持った医者が多かったということなのか。恐ろしいことである。




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