旅の目的がもしあるとすれば、それは逃げることだったかもしれない。
終わりかけている恋人と、担当編集者から。
          
 「熱帯感傷紀行―アジア・センチメンタル・ロード―」 中山可穂 角川文庫

 とある新人賞を受賞してから九か月。三十枚の短篇をひとつ書いたきりで、何も書けない日々が続く。担当編集者からは早く受賞第一作を書くようにせかされ、一番かわいがっていたかよい猫が姿を見せなくなり、恋は終わりかけている。そんな日本から飛び出した可穂さまが綴る、アジアのみちゆき。
 行ったことがない人が読むより、行ったことのある人が読むほうがおもしろいのだろうか。それとも、これから行く予定の人が? ともかく海外への貧乏旅行をしたことのある人なら、ああ、こういうことってわかるわかる! と思わず頷きながら読んでしまうシーンも満載。
 食べ物も乗り物もホテルも値切りに値切る。屋台の騒々しさと思いもかけない美味しさ。安宿のうるささや、ふとふれる人情。
 他人に読ませるために書いたのかどうかわからないほどに、突然、失われつつある恋人への思いが噴出してしまったりして、読み手としては「えっ・・・・・・」一瞬前とのこのギャップは何!? と思ってしまったりもしないではないのだが、昼の暑苦しい騒々しさと独り旅の夜のさびしさ、というのは、独り旅をしたことのある身には、まあ確かにこういうこともあるよね、と、納得する部分もある。
 旅行のガイドブックではないし、いきなりとんでもないバスに乗ったり、ずる(笑)して飛行機に乗ったりもしているから、これと同じ旅をしようなんてことは、間違っても考えないほうがいいし、第一、できない。
 それでも。
 旅はいいよねーと、つくづく思うことだけは間違いないし、もうひとつ。中山可穂作品はよく突発的に旅に出る登場人物たちがいるのだが、彼女たちの姿の原型を、この中に感じることができるという意味でもおもしろい読みものだと思う。
 個人的には欧州版を出してもらいたいんですけどね。たぶん、欧州のほうがちゃんと見所をおさえているような気もするし(笑)。可穂さま、お願い。「欧州感傷(じゃなくてもいいです。「熱愛」でも)紀行」…書いてくださいませ^^



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