真実を知る瞬間を、ぼくはそれまでできるだけ遅らせてきたのだった。沈黙のまわりに張りめぐらされた有刺鉄線で皮膚をすりむきながら。
           
  「ある秘密」 フィリップ・グランベール(野崎歓訳) 新潮社

 「ぼく」は優しい両親の愛情を一身に受けて育ちながら、家庭の中にひそむ陰に気づき、ひそやかな悲しみや恐怖を感じていた。それはいつしか幻の兄の姿をとって、幼いぼくの隣にはいつも兄さんがいた。病弱な自分よりもずっとハンサムで力強い兄を想像することで、ぼくは悲しみや恐怖を乗りこえた。だが、十五歳のある日、とあることがきっかけでぼくは家族の秘密を知ることになる。
 理想の家族を夢見ていた少年は、ハンサムな父と美しい母の出会いを健康で明るいファンタジーとして思い描くが、彼が知った真実は残酷なものだった。ナチスによる弾圧と虐殺という歴史の闇の中に位置づけられた人々の苦しみ、そして秘められた恋の罪悪感。ぼくはそれを知ることで大人になってゆく。
 当初、人種についてのことさえ、苗字にふれることでしか描かれない。読者はあからさまにされないものの中にどれだけの秘密がひそんでいるのかわからぬまま、けれど主人公とともに少しずつ歴史の中に足を踏み入れていくことになる。
 秘密はいくつもある。そのひとつひとつが痛みを伴い、悲しみを秘めている。だがそこには、必死に生きようとする人間の姿もある。弱々しかった主人公が真摯なまなざしですべてを受けとめようとしたとき、彼はたくましい大人になり、読者もまた深い読書のよろこびにふれることになるのだ。
 フランスにおいて高校生が選ぶゴンクール賞を受賞。願わくば日本の高校生にもこの本を評価できるだけの読書力を持っていてほしい。



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