夜が朝に代わり、朝が夜に代わる。
               
「アラビアの夜の種族」 古川日出男 角川書店

 物語は、作者(古川日出男?)のオリジナルではなく、英語版「The Arabian Nightbreeds」の英訳であることが明記された上で始まる。
 聖還暦1213年、カイロ。ナポレオン・ボナパルトの脅威に立ち向かうべく、美しく賢い奴隷、アイユーブから提案されたのは、一冊の書物。「災厄の書」。その書にふれたものは皆、その稀代の内容に魅惑され、その書物と「特別な関係」になってしまったが故に歴史の表から消えてゆく。つねに一冊の本であろうとし、複製をも許さぬその書物を、アイユーブは奇妙な手段を使ってフランス語に翻訳してみせる、と約束した。
 だが、その後、彼が行ったのは翻訳ではなく創作――否、聴き取り。アラビアの夜の種族、語り部、ズームルッドによる夜毎の物語り。「もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーアの契約の物語」あるいは「美しい二人の拾い子ファラーとサフィアーンの物語」。年代記として語られるその千年に及ぶ美しい物語に、いつしか聴き手までもが魅了されてゆく。しかし、それはフランス語で書かれたものではなかった。では、何のために? アイユーブは誰のために、なんのためにこの「災厄の書」を作りあげようとしているのか……夜が朝に代わり、朝が夜に代わる。移り変わる戦況、そして年代記のすべてが語り終えられたとき、そこにあるものは?
 のっけから書いてしまうが、実は古川日出男の作品はあまり好きではない。「13」も「沈黙」も「アビシニアン」も読んで、それでもオススメ文を書かなかったことでも了承していただけるのではあるまいか。分厚い本を読んだときには、多少気のすすまない本であっても、ためらいがちにオススメ文を書くことが習いになっているのに(笑/えーと、いや、だから、ほら、読んだのがもったいないから……^^;)。だが、周囲からあまりにもススメられていた、ということなどもあって、重い腰をあげて手にとった。とったからには感想もあげねばならない……ということで、書いている。ということで、以下、「オススメ文」としての主旨からは少し外れていることは了承していただきたい。
 なぜ、あまり好きではないのか。それはおそらく、彼の文体があまりにも「語り」であったからだと思う。作家と作品(小説)の関係を考えたとき、わたしはあまりにもそこに
「意思」の見える作品はあまり好きではない。ことばを変えるなら、「いってきかせる」ような文体は苦手なのだ。感情が見えるのはいい。内面の深みが感じられるものもいいし、いま考えていること、苦しんでいることについて、自分が得意とする分野について書いてくれたってかまわない。でも、たとえば「泣け、泣け」と泣かせの意思が見える作品は嫌いだし、「ほら、これを教えてあげるよ、知らなかったんだろうから」というような意思が見える作品もだめ。わたしはどこか、古川日出男に、その……小説としてはあまりにも「語り」に近い、「わたしが語ってあげましょう」という雰囲気が苦手だったのだ、と思う。そう、たとえば――新聞のような。週刊誌のような。できごとを描くのに、「小説」と「新聞」では書き方が違う。そして、古川作品は後者だ。と、わたしは思っていたし、思っている。もちろん、それを良し、とする人がいることも知っている。ただ、わたしはだめだった、というだけのことだ。
 さて。この「アラビアの夜の種族」は語り部が「語る」物語で構成される。「です・ます」調で(ちなみに、わたしは「です・ます」文体もあまり得意ではない)。だが、もしこれが作者が自分の弱点なり問題点をクリアするために選んだ手段なのだとしたら、なんとこれが大正解だったのだ。彼の「語ってあげよう」文体は、語り部という存在を得て、そしてその聞き書きというスタイルをとることで、違和感なく収まることが出来た。こと、この作品に関しては「です・ます」文体、大いに結構。妙にぎこちなく、意思が見える文体も、これが翻訳である、という言い訳をとることで、それなら許せるか、と。
 語り部が語った年代記の部分だけなら、実はおもしろいけれど、振り返って考えればたいしたことはない(ファンタジーとしてはけっこう、ありきたりだ。タニス・リーあたりの作品とは比較にもならない)。だが、それに「災厄の書」を何らかの理由で作りあげようとしているアイユーブ、そしてその周囲を取り巻く状況、というものが絡んできて、物語は深みを増している。そして、「書物」とは、「物語」とは? 
 とりあえず、長いかもしれないけれど古川日出男を読むのならば、ほかの作品よりも、この「アラビアの夜の種族」をオススメする(うーむ、複雑なススメ方だ^^;)。



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