私はたとえ記憶が戻っても、絶対に、今こうしている自分のことを忘れたくない。些細なことでも傷ついて不安になっていることを、いつまでも覚えていたい。
         
 「暗黒童話」 乙一 集英社

 物語は、人間の言葉をしゃべることのできる鴉と、目の見えない少女とが織りなす不思議な交流を綴った童話から始まる。眼球を失った少女のために鴉は他人の眼球を盗み、少女はそれによって他人の記憶を追うことができる……というものだ。
 この童話とは別に、「私」の物語が進行する。ある冬の日、誰かの傘の先によって左眼を失うことになってしまった「私」、白木菜深は、同時にそれまでの記憶すべてを失ってしまう。見知らぬ両親、見知らぬ友人、まるでわからない授業。優等生だった菜深の変貌にもっとも反応したのは彼女の母親だった。まるで憎んででもいるかのように自分を見る母親に、菜深は傷つく。その後、手術によって眼球移植が可能となった菜深だが、そのときから、菜深は「左眼の記憶」とでもいいようがないものと向きあうことになる。そして、この記憶が実在の少年の実際の記憶であると気づいたとき、菜深は自分が誘拐犯の隠れ家を知っていることにも気づく。果たして菜深は犯人を指摘し、誘拐された少女を救い出すことができるのか。
 しょっぱな、菜深の目に傘の先がささって眼球が転がり出て云々、という描写だけでもかなり気持ち悪い。この時点で、こういう作品はダメだ〜と思った人はやめたほうがよい。ジャンルとしてはSFがかったホラー小説といったものなので、連続誘拐犯が誘拐してきた人質に対してどんな扱いをしているかという部分の微細な描写は、かなり不気味なものである。
 記憶を失った少女が、もし記憶が戻ってきたらいまここにいる自分はどうなるのだろう…と悩んだり、左眼の記憶に誘われるように家を出て、左眼の持ち主の姉やおじといった人々と関わっていくところなどで、せつない感じのよい話でもある。
 せつなさと気持ち悪さの絶妙なバランス。ホラー的描写が大丈夫な人は、ぜひ。



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