「きいたか、かあちゃん。てるほはいいことをいうじゃねえか。この親から生まれた子だから、勉強できないなんていわせねえだとよ」
「ちぇ! そんなことあるかよ。きっとねえちゃんはまぐれあたりか、できそこねえにちげえねえよ」
          
「あばれはっちゃく」  山中恒 

 わたしには、いまでも忘れられないクリスマスがある。あれは小学校三年生のとき。クリスマスプレゼントはなにがいい、といわれ、「なんでもいい?」ときいたら、いいだろう、とこころ強い返事。そこで本屋に行き、当時立ち読みで全巻読み終わっていたルパン、取り掛かり始めた乱歩、の三段ほど上の棚にあった山中恒全集(たぶん当時ハードカバーで10巻か12巻くらい出ていたと思う)を指さし、「これ」。なにせ題がすこぶるおもしろそうだった。「あばれはっちゃく」「6年4組ズッコケ一家」「くたばれかあちゃん!」などなどなど……。本屋で棚一列買いきり、ダンボールに詰めてもらっているときほどの興奮は、以来、ない。
 繰り返し読み、そのパワーに圧倒され、いまでもこうして題までそらで書けてしまうほどはまった本は、何回めかの引越しの際に近所の子どもたちに置いてきてしまった。でも、それを手にしたときの思い出はまだあるし、こうして図書館でなつかしい本を手にしてみれば……やはりあのときの興奮は嘘じゃなかったな、と思われるのである。
 あばれはっちゃく。手のつけられないあばれもの、という意味のことばで、主人公の桜間長太郎のことを指す。長太郎のいたずらぶりはそれは見事で、そのドジぶりもまたすごい。ときにはいきすぎにも見えるいたずらだけど、とにかくやれやれ、と応援したくなるのはどうしてだろう。たぶんそれは、ときには間違いもあるし、単なる楽しみのためのいたずらもあるけれど、この物語の中での長太郎は長太郎なりの「正義」とか、自分が信じていること、そういうもののために暴れているからではないだろうか。
 あばれはっちゃくの「あばれ」は「暴力」とは違う。そんな、いまの子どもがちょっとしたことでキレちゃうのとはまったく違うすがすがしさが、ここにはある。



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