「……電話があります」
 それは嫌な気がした。
 だが、どうして、それが嫌なのか安西にも、よくわからない。
                   
 「百物語」(「1950年のバックトス」所収) 北村薫 新潮社

 帰りが途中なのと、人畜無害な人柄を見込まれて、酔いつぶれた一年生を預けられた安西は、彼女のあまりの具合の悪さに、下心なく自分の部屋に連れてきた。だが、酔いの冷めた美都子は安西のことが信用ならないのか、朝まで起きている、という。ならば、百物語などはどうだろう? まずは部屋中の明かりをつけ、怪談をひとつするたびに、ひとつずつ明かりを消してゆく、そんな趣向で。ちょっとした退屈しのぎの思いつきで始めた百物語。だが、ビデオの電源から冷蔵庫や電話の明かりにまでこだわる美都子に、安西はなんだか妙に嫌な気分を感じてくる。そして美都子が語った最後の物語とは。
 短編集。どちらかといえば、前半が「百物語」のような怖いような奇妙な話、後半が「1950年のバックトス」のようなほのぼのした話、ということになろうか。全23篇。それぞれに違った味わいのある物語たちである。
 別に恐怖話というわけではないのだろうが、わたしが一番怖かったのは「包丁」。
 物語は、結婚して八年目で生まれた子供の裕一、聞き分けのよい孫を可愛がる夫の実家での正月、包丁が使えなくなっていて切れなかったこと、夫の母が亡くなったとき、義母が大切にしていたはずの包丁を形見分けでもらって修理したことなどが静かに淡々と語られる。話のひとつひとつは包丁というアイテムでつながっているようなつながっていないような微妙なバランスである。だが、それが最後になって、ある音の場面になったとき、本当に凍りつくほどに怖かった。おそらく、淡々とした書き方ゆえに、主人公の三津子になり切っていて、それで怖かったのかもしれない。
……それにしても、いま気づいたけど「美都子」と「三津子」。ミツコって、北村薫の好きな名前なのかしら……? ちなみに「1950年のバックトス」は節子。ミツコ、セツコ。思いがけないところに作者の好みが出てくるのかも、しれない。



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